何かを好きになるという行為はとても恥ずかしい行為だというのが僕の中にずっとある。
こうした恥を感じることは、また自らに秘密を宿そうということでもあろう。
推し活で思うのは、そうした好きを表に出し、ぶつけることで、自らのそうした恥の観念も吹き消そうとしているのではないかと思われるのである。
またそれは近頃言われるやりがい搾取、つまり好きを仕事にしようというやつとも関連するだろう。
人はどこが本当の自分の気持ちで、どこまでが社会から言われている気持ちなのか、という区別がつかなくなってきているのではないか。
秘密を抱くことの大切さを近頃よく感じる。
それはエロスを抱くことでもある。
こうした剥き出しの生にはエロスの介在する余地がない。