禅と空

 

身体性に囚われてしまって、それ自体、モノ自体を忘れてしまう。

 

あわいのようなもの

 

芭蕉俳句の謎に迫るのもここからであろうか。

 

かろみの芸術というもの。

 

謎が謎のままとしてあり、それを解明しないという粋な計らいが、文学の基盤としてあって、其の背景を探るというりも辿っていくことによって、僕らは互いを知り合うということがあるとして、それは文学の歴史も越境するだろう。

 

 

 

仏教、禅はどのような歴史を伴って文学と紐づいてきたか。

 

町田康が古事記の新訳を出したらしいが、如何