行くのも戻るのも反時代的な思想背景の元に形成されている我々の生命はー
公園の牡丹の花が咲き始めている。ワニの顔をコラージュした滑り台がますます赤く、陽の光を浴びて、エキセントリックに映る。
ハンコ文化はなぜ必要か、というのを漠然と考えていた。
そうした微妙などうでもいい行為から、目的など何者でもない、ただそこへ行くという行為が必要なのだ、ということか。
目的論から逃れるために、と言えるか
目的は自由と対立するか。
私個人から開け放たれた芸術
それは私を取り巻いていた自然環境から独立するイメージのようであり、また僕が日常の風景の中に溶け込んでいて意識することがないうちに出会う様々な人や花のように、ありふれたものであろう
このようなありふれたものを言葉にしようとした時の逡巡は、私の心を奮い立たせる。それは独特の振動を持って、振るわせる。
思えばこうした振動を、ゴッホの絵には感じることができる。実際木々も人も、空気も良くよく観察して内面より伺えば、その振動があの絵画のように歪んだり音を出していたりするのがわかるだろう。
僕はそうしたものを、正確に表現する術をあまり良く知らないが、おそらく僕個人はずっと文章を書いてきたので、この文章によって何かしら少しでも見たものをそのまま記述できればいいと思う。
創作は僕の中では空想ではなく、実際の、内面の世界の真実の描写でなければいけない、そうでないと嘘であろうと思う。作家はより内面世界において責任を持っている。
僕は見たものをできるだけ正直に語りたいと思う。